いつまでたっても忘れられない話があります。
それは太平洋戦争時のある家族と2人の子供にまつわる話。
忘れられないものの少しづつ記憶がうろ覚えになるのが嫌なので備忘録的に記しておこうと思う。
沖縄に住んでいた時に、とある図書館に寄りました。大体図書館にはその地方を紹介する郷土コーナーというものがありますよね。その図書館にも沖縄コーナーがありました。そこでは琉球料理や方言・風習や漫画で沖縄を紹介する本などあったのですが、本棚の片隅に粗末な本がひっそりと置かれていました。出版社が作ったものではなく個人や同士で製本したような跡があり値段もありませんでしたので世の中に知られるような本ではないはずです。
その本はタイトルを忘れてしまったのですが太平洋戦争を生き残った人の手記がオムニバス形式で何話か載っている本でした。
とにかく色々な体験談があったのですがこの一つだけはいつまでも脳裏に焼き付き忘れられませんでした。
太平洋戦争とは第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)沖縄諸島に上陸したアメリカ・イギリス軍を主体とする連合軍と日本軍の戦争の事です。
連合軍は最初に読谷村に上陸したため村内の人は命からがら逃げていく事になりました。
主人公は7人の家族(父・母・3人の子供・祖父・祖母)
この家族は取るものもとりあえず逃げている途中橋のたもとで2人の子供に直面する事になります。
7歳と4歳くらいと思われる2人の姉妹です。きっと親とはぐれたのか既に親は死んでしまったのかもしれません。
この2人がこれからどこに行くべきかわかるはずもありません。
それで2人はこの7人家族の後を追って一緒に逃げる事にしました。
しかしながら妹(4歳)の方が走るのに疲れてすぐしゃがみこんでしまうようです。
最初はこの家族も待っていました。
でも早く逃げなければなりません。
どんどん逃げるのが遅くなっていきます。
姉は妹を急かして早く立ち上がり走るよう促します。
でも妹の方は疲れ切ってついに歩けなくなります。
この家族は2人の姉妹を見捨てる事に決めました。
3人の子供と祖父・祖母の世話をしながら逃げるだけでも精一杯でした。
お父さんとお母さんは最後、ついにあきらめた姉の顔とつかれきった妹を振り返りながら家族を連れて何とか逃げました。
私はその後近所で、戦争を経験した一人のおばぁにこういう体験談を読んだという事を伝えました。
そのおばぁは、「当時そういう話は沢山あった」と言っていました。
「この2人の姉妹は助かったと思いますか」と聞いてみると「多分助からなかったと思う、皆あの時は自分たちの事で精一杯だったからさぁ」という事でした。
この家族は命を失わず戦争を切り抜ける事が出来ました。
でもお母さんは自分が死ぬ最後のベッドの上でも「あの時の2人を助けれなかった事を申し訳なく思う」と言っていたようです。
お母さんは本当に悔しかったと思います。
テレビでは外国での戦争のニュースが流れ、空調の効いたリビングのソファーでリラックスしながら眺める事がありますが、苦しんでいる方や辛い思いをしている方がいるという事を決して忘れず、今色々あっても平和な日本で生きている事を感謝したいと思いました。
今でも沖縄と聞くとこの話を思い出して切なくなる事があるのです。
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