椎名誠氏のパタゴニアという体験記/エッセイが大好きだ。
パタゴニアという行った事もない土地の話を知れたことも楽しかったが、何よりもこの本は精神的に苦しい時に妻と離れて遠くに行ってしまうその気持ちを深く考えてしまうからだ。
事の始まりは本人がパタゴニアへ旅立つ1週間前になる。
妻がほとんど口をきかない事に気づくのだ。軽度の鬱か不安障害のようなものになってしまったと思われる。
その原因は本人にあると自分で述懐している。自分の仕事の事だけを考え「家」と「家庭」は全て妻にそっくり任せてしまったのだ。サラリーマン生活を辞めた後妻と家庭を離れて行こう、逃れようと決め人生の冒険に出ようと決めたのである。妻は自分の仕事と家庭の用事と子供の世話をしながら夫が抱える仕事の後始末もするという生活にすっかり疲れてしまったのだろう。
そのような苦しい状況の中でパタゴニアへ行かなければならないのだ。
自分なら旅をキャンセルしてしまいそうなものだが、旅行の準備や相手国の受け入れ状況を鑑みるとそのような事はいまさら出来ないだろう。本当に苦しかったと思う。
旅の途中で家に電話をするシーンがある。当時は携帯電話すらない時代、無理を言って軍の電話回線を使用させてもらっている。あまり元気とはいえない声だったが、でも妻が家にいてくれている事を知るだけで「急速に満足」し「さっきよりも体がすこし軽くなっている気がした。久しぶりに気持ちも軽くなっている。ほんの一瞬を通り越して身も心も軽くなってしまった」とある。本当にそうなったんだろうなと思う。自分も何年も心のどこかに引っ掛かっていたことが、ほんの一言でキレイに解消されてしまう事がある。きっと著者はこの電話のやりとりでパタゴニアの空が本当に青く見えてきたに違いない。
とはいえ、ほぼ地球の反対側にある場所に妻をおいておくのは非常に辛かっただろう。
そういう状況の中で仕事とはいえ知らない土地を旅し、船内の狭いベッドやコンディションの悪い空調、お湯の出ないシャワーというホテルを泊り渡り、それらを記憶し記録し続けるのはどんな気持ちだっただろうか。
ただし本文自体はとても楽しく読めるしパタゴニアがどんな土地かわかりやすく教えてくれる。本人もその時その時は楽しく過ごしている様子を描いている。
でもその時その時を楽しく過ごせているのは、著者の精神力が並外れているからだと思う。著者自体は決して能天気な人ではないと思う。イメージ的には「ガシガシ」とか「ワシワシ」という雰囲気であるが色々な著作を読む時に結構細かな事に気づき、色々な問題に悩まされている。
結局そのすべてをエンターテイメントへ消化させているのは、その精神力の強さが成せる業だろう。
とはいえ著者も一人の人間である。
成田空港に到着し、ごったがえすロビーのずっと後ろのほうにひっそりと一人で立っている妻を見つけ、まっすぐに見つめるその顔を見た時「正直な話、そこでようやくどっと安心した」とある。
途中で気持ちが軽くなったとはいえずっと引っ掛かっていたことからようやく解放されたのである。
しかし妻の夫を思う気持ちは、実は旅が始まる前から詰まっていたのではないだろうか。サンチアゴの最初のホテルに着いてトランクを開けた時「トランクの真ん中あたりにひしゃげてつぶれたぼくの知らない薄黄色の花が二本入っていた。冬に咲く野の花のようだった」とある。夫を思わない妻はこんな事をするだろうか。もしこの花のメッセージを読み取れたらこの旅はもっと気持ちの楽な旅になったのではなかったかとも思う。
最後にこの本を読んでピスコ(ブドウ果汁を原料とした蒸留酒)というものを知り、どうにか手に入れて飲んでみたくなり通販で注文した事がある。正直美味しくなかった。やはり現地で買って現地で飲むものに勝る飲み方は無いのだろう。なんとかして美味しいピスコを飲んでみたいものだ。
おしまい
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